ほおじろの声

ほおじろ巻頭言 2024年10月号

日本野鳥の会の社会的責務とは何か?
せめて、鳥を虐めない社会を作ろう

日本野鳥の会千葉県・幹事会

日本野鳥の会創設から第2次大戦終了まで

 台風1934 年3 月11 日,丸の内の陶々亭で「野鳥之会座談会」が開かれ,鳥学者,文学者,画家など11 人が中西悟堂を取り巻いた。座談会は,『野鳥』創刊号以下に連載された。
 日本野鳥の会は,それに先立ち,座談会出席者他合計15 人が賛助員,機関誌『野鳥』編輯責任者=竹友藻風・中西悟堂という体制で発足。趣旨には, 科学的,民俗学的,美術的,文学的と並び,飼育的という文言も見られる。
 初めての野外活動は,「富士裾野野鳥巣見学旅行」で,須走村のガイド,高田昂・兵太郎兄弟の案内で,鳥や鳥の巣を見て歩いた。その様子は,『野鳥』4 号に掲載され, 北原白秋,柳田国夫,金田一京助・春彦など名だたる文化人が集い,高田兄弟と写真に納まっている。
 初期の『野鳥』には,飼い鳥店の広告が並び奇異に感じるが,会の趣旨に飼育的という文言があることで了解される。
 戦前の日本には自然保護という概念がなく,野鳥の会も文化的性格の強い組織であった。

戦後の野鳥の会 自然保護団体への脱皮

 多くの会員が戦死し,壊滅状状態に陥ったが,中西悟堂のもとに集まり,会が復活した。
 戦後復興,高度経済成長の波の中,自然破壊が進み,日本野鳥の会も若い職員を中心に自然保護団体に脱皮していった。
 空気銃や霞網など狩猟具を法的に禁止させる活動に始まり,個体の保護,個体群の保護,種の保存,生息環境の保全,国際協力, 法整備,自前のサンクチュアリオープンなど,目覚ましい活動を展開し,会員数も全国に6 万5000 人に増えた。
 この時代の本部活動を,日本野鳥の会千葉県から,現会長=志村英雄が理事,『野鳥』編集委員長,自然保護委員,野鳥記録委員として, 現副会長=小島久佳が評議員として支えた。

日本野鳥の会の現在

 その後,野鳥の会本部の指導体制が変わり,現在,鳥類保護の思想性が希薄になり,その結果,会員数が減少している。

日本野鳥の会の社会的責務とは何か?

 日本野鳥の会は,文化的にも,自然保護の歴史の上でも,輝かしい歴史を持っている。
 現在,地球環境は危機的状況にあり,従来の自然保護の枠を外れる問題が山積している。
 他方,都市近郊では,野鳥の会に属さない人々が,デジタルカメラとネット環境を駆使し鳥虐めを続けており,目を覆うありさまだ。
 伝統ある日本野鳥の会は,この時代の社会的責務を認識し,せめて,鳥虐めのない状況を作り出せないものだろうか?